作曲家・五十嵐真理さんへのインタビュー 第四週

2009年3月26日 in インタビュー,

ノタの森の原動力の一つには、経験を後世に伝えていくことは先人の経験を享受している者の責務という考えがあります。その一つとして、特にこれから音楽を仕事にしようと考えている人たちへ向けて、音楽制作の現場で働くプロフェッショナルへのインタビューの短期連載を行っています。今回は経験豊かな作曲家である五十嵐真理さんに協力をお願いし、彼に4つの質問を投げかけその回答をまとめました。毎週1問ずつ掲載しています。現場で働いている人の生の声を楽しんでください!

五十嵐真理五十嵐 真理 いがらし まこと
作曲家
{略歴}

1965年(東京オリンピックの翌年)北海道生まれ。高校卒業後、青山レコーディングスクールにて作編曲を専攻。小田裕一郎、尾関裕司、岡野智光、桜井優典らに師事。音楽関係の仕事を探すことを全くせずに地元で家業の運送屋を手伝いつつアマチュアバンド活動に精を出す。バンド仲間が地元の音楽制作会社に就職し、そのコネで同社に潜り込む(去年末に同社を退社)。長年にわたりテレビ・ラジオのCM音楽、舞台音楽、ダンスチームの音楽、ゲーム音楽など凄まじい数の作編曲をこなし、現在に至る。

ホームページ:音楽制作 五十嵐真理のホヲムペエジ ブログ:五十嵐真理のBootRock"


{作品}

CM音楽(のぼりべつクマ牧場、日専連札幌、ぎょれん/ホタテ、全自動パワー融雪機モンスター、アップル車検など)
ゲーム音楽(天地無用 魅御理温泉湯けむりの旅 [SS]、カルドセプトSAGA [XBOX360]、ファミリートレーナー [Wii]、江戸川乱歩の怪人二十面相DS [Nintendo DS]など)
その他多数。

質問4.五十嵐さんにとって音楽とは?

物心ついた時から
まわりには音楽があったと思います。
2歳上の姉がエレクトーン(カワイなのに!)を習っていたし、
親戚一同で教会幼稚園に通っていたので、
賛美歌が身近なものだった。
幼年期からスタートした第2次特撮ブームのおかげで
番組の主題歌を歌いまくった。
子門真人の真似で「すぅぃまるぅ~~、ショッガー」なんて感じで。
「そこにある音楽」を楽しんでいたのです。
小3になる直前に物凄いインパクトを受けた。ブルース・リーの登場だ!
容姿も動きもカッコ良いけど、
何より「アター」の声がカッコ良い。
瞬く間にリーに魅了された。
初めて新聞を見るようになった。
彼の映画の広告が載るのをチェックする為だ。
ラジオ番組を聞くようになった。
彼の映画の主題歌がチャートインしているからだ。

特に洋楽番組を聴くようになったのは、今思えば「転機」だった。記憶が正しければ、ローカル局の1974年の年間チャートは1位「燃えよドラゴン」3位「ドラゴン怒りの鉄拳」6位「ドラゴン危機一発」だったと思う。狂喜乱舞したわけだけど、番組を聴き続けるうちにカーペンターズやスリー・ディグリーズの美しいハーモニーに心を奪われるようになった。もちろん歌詞の意味を理解せずに「音を楽しんで」いたわけで。

姉の影響でエレクトーンを習い始めた。
練習は楽しくなかったけど、演奏出来るようになるのは楽しかった。
その後、ベイ・シティ・ローラーズが洋楽チャートを席巻して
ますます音楽に熱中した。

姉がフォークギターを購入した。
自分もいじらせてもらった。
小6でビートルズと出会ってからは、それが全てになってしまった。

受験を控えて中2でエレクトーンに挫折すると
翌年、YMOが日本でもブレイク。
もう一度、鍵盤を弾く契機を作ってくれた。

高3。進路を決める時期にもかかわらずのほほんとしていると、
バンド仲間の一人が「青山レコーディングスクール」に行くと言う。
「俺もゆくよ」と言う事で、母を説得して上京した
(そのバンド仲間は地元の大学に進学した)。
音楽の仕事に就けたのは、第1週に書いたように
やはりバンド仲間の存在があったからだ。

自分でそれを選んだ、と言うよりは
導かれるように、そこに辿り着いたような気がしています。

こう書いてしまうと、努力なくして辿り着いたように受け取られるかもしれませんがそうではありません。

努力をしていたからこそ、導かれた道を外れる事なく歩めているのです

(自分で「努力をした」と言うのも高飛車ですが、「読者のみなさんが努力を怠る事の無いように」脚色したと思って下さい)。

さてさて、序盤で登場したブルース・リー。実は「音楽との出会い」のきっかけを与えてくれただけではないのです。彼はアクション映画俳優として脚光を浴びましたが、優れた武道家でもありました。彼の創始した截拳道(ジークンドー)は、さまざまな格闘技のエッセンスを取り入れていて、型にとらわれない戦術を重視します。たくさん研究して、たくさん練習して、そうして技術を身につけると、必要に応じて体が自然に、しかも的確に動く。その「的確」に至る選択肢は、Boxing、空手、レスリング、柔道.....いろいろな技をそなえていればいる程、より「的確」の精度は上がります。

この理論は武道だけに当てはまるものではない。この思想を音楽的に取り入れたい。「こうじゃなきゃいけない」を打ち破って新しいものを作ってゆきたい。

元来が怠け者なので、そんなに研究も練習もしませんが、柔軟に良いものを取り入れてゆく 姿勢くらいは忘れないようにしようと心がけているのです。

さあ、そろそろまとめなきゃなりません。「自分にとって音楽とは何か?」自問自答モードに突入します(なので、ここからは「ですます調」ではなくなります)。

運命と言うものを信じるなら、導かれて、気がついたらそこにあったもの。願っても、その職に就けない人がいることを考えると、チャンスが巡って来た事自体が大変ラッキーな事なのだから、運命とか、そんな言葉も信じてみたくもなる。

あるいは「天職」なんて言う言葉を使う人がいたりするけれどこの年齢になると「これ以上に似合っている職業は考えられない」のだからおもいきって「天職」と言ってしまうのも良いかもしれない。20年前に別の職業に就いていたら、それが「天職」だった可能性もあると思うけれど。

別の角度から考えてみよう。自分から音楽が無くなったら何が残るだろう?と思うと相当に重要なものだ。かと言って「これが無きゃ生きてゆけない」とも思えない。潤いは無くなるにしても。真剣に音楽をやっている人には失礼かもしれないけれど、「たかが音楽」なのかも。ただし「たかが人生」だと思えば......
......どれも的を射ていないような気がする。

敢えて言うなら、音楽こそが自分を映す「鏡」。
鏡

素晴らしい音楽を聴いた時には、手放しで感動している自分と、この感動は何が要因なのかアナライズする自分と、これと同様の物を自分が作れるかどうか?と比較する自分と。何役もの自分がいる。そして常に聴いた音楽との距離を考える。どのくらい離れているのか。近いのか。円の中に入っているのなら、中央に向かっているのか、外周を回っているのか。

自分が作っている音楽は、これは当然自分の中から出て来た、自分を反映したものだから。まさに鏡。何かを隠そうとしても「隠している自分」をちゃんと映している。嘘をついても「嘘をついた自分」がちゃんとそこに映っている。

ああ、そうか。鏡が無くても、音楽を聴いたり、作るだけで、ちゃんと自分が見えるんだから便利だなぁ。コンパクトが無くても「テクマクマヤコン」と言えば変身出来るんだ。出来る範囲で。それが音楽なんだなぁ、自分にとっての。

五十嵐真理さんへのインタビュー企画はこれで全て終わりました。最後に、このインタビュー企画を担当した僕、西尾康成の編集後記を付け加えて終わりの挨拶とします。

まず、ノタの森の考え方を受け止めこのインタビュー企画に協力してくれた五十嵐真理さんに、スタッフ一同大大大感謝!!

去年できなかったので今年こそはインタビュー企画をやろうと考えていた中、五十嵐さんと連絡がつき実現させることができました。五十嵐さんは普段、テレビCMを始めとした様々な音楽制作で忙しい身です。僕はそれを知りながらも、企画の声をかけてから第一週目の原稿の〆切が3日後という強行スケジュールをぶつけました。理由はないけど、ノタの森を全部とめてでも今やるべきだと強く感じたからです。そうして、世間話からそのまま制作モードに怒涛のように突入しました。

このインタビューでは、「僕が聞きたいこと」と「ターゲットにしている読者(この場合はこれから音楽を仕事にしようと考えている人)が聞きたいであろうこと」を考え、五十嵐さんの体験や考えを、よりシンプルにメッセージやアドバイスとして伝わるよう心がけました。僕が音楽を生業とする前は経験者のこんな話を聞きたかったなぁなどと昔を思い出しながら4つの質問を決めました。

4週にわたるインタビューの中でこだわった部分の一つは、実体験を盛り込むことでした。五十嵐さんの記事の中では仕事中のやりとりについて触れられていたので、ここではこのインタビューを完成させる際のやりとりの一部を一つ書きます。

当初から五十嵐さんは「第三週がてこずりそうだ」というシグナルを発していました。その原稿の第1稿が届き目を通してみると、とても的外れなものでした。なぜこんな事が起きたのかといえば、それは僕のディレクションミス。第一週目の記事があまりにも良かったので、第二週目のディレクションでは特に方向性に関する話を出さずに完成までもっていきました。それでお互いの見ている方向の幅が広がってしまいました。

いつもの遊び心から五十嵐さんはその原稿の最後を『これで今回のテーマの答えとして、及第点を貰えるのだろうか?』と締めくくっていました。これを受けてあえてこの時の原稿を採点するなら、10点。

これは記事そのものの内容に対する評価ではなく、テーマに沿っていないという意味での点数です。合格ラインは80点と考えているし、五十嵐さんにおいてはどんな状況における制作でも必ず90点以上をたたき出してくるぶっ飛んだ人だという事を、僕は過去に一緒にしてきた仕事の経験からよく知っています。だから明らかにディレクションがまずいということです。

さて、こういう場合どうするか。記事自体が悪いのではなく、完成形の中での記事の割合が考えているものと違うということです。記事の完成形を100とするなら、この第1稿の内容は5~10程度の割合を占めていれば十分なので、残りの90を他の内容で占めれば、第三週目のインタビューは100点満点にすることができます。ただ、今は100を占めてしまっているというだけのことです。これをこのまま残すとなると、完成形を100点満点にもっていくにはこの9倍の記事を付け足す必要があります。それは現実的ではありません。まずはどんなに小さくてもいいので発展させるための種を引き出そうと、「例えばこれに体験談を織り交ぜてみてはどうか」と提案しました。

そうして返ってきた第2稿がとても面白かった。"書き方"が飛びぬけて面白かった。その第2稿の内容は、第1稿がそのままあり、その下に同じ分量程度の全く方向性の違う記事がくっついていました。違う2系統の話題がやや強引に連結されている状態です。五十嵐さんは最初のダメだしで「おや?もしかして方向性が違う?」と思ったのかもしれません。それをはっきりつかむためにこんな形の第2稿を投げかけてきたのだと思います。

ディレクターがどっちに食いつくか、それを見極めるための"エサまき"といったところです。一見したところ第1稿に対するディレクションに答えていないようにみえますが、これまでのやり取りから僕のディレクションの性質を感じての行動です。そしてこれが完成までの最短ルート。第1稿のダメ出しをした時に僕は、「五十嵐さんなら第一週目と第二週目の編集の仕方から察して、グッチャグッチャに引っ掻き回さずザクッザクッと大きな段落ごとに違う話題を織り交ぜてくるだろうから、それに対して再構成して細かい修正依頼をして第3稿で完成」という短期的なイメージをもっていました。ところが五十嵐さんはそれより最短の時間と労力で最大の効果をはっきりと得られる手段をとりました。この後は細かい詰の修正だけで第3稿で完成させることができました。

お互い不慣れな文字を扱って記事を作っていく過程ですが、「お互い意見を投げかけ受け取めあって同じ所を目指す」というやりとりは、CM音楽や舞台音楽のような時間を掛ける音楽制作の現場でも、演奏家どうしのセッションという形での瞬間的な音楽制作でも全く同じです。

おかげで考えていたよりも短時間で編集でき、その後のディレクションもしやすくなりました。そして"2系統に分かれている"ということがヒントになり、バッサリ切った前半の記事を五十嵐さんのブログで独立させて、二段階で読者を楽しませるという当初考えもしなかった新しいアイディアが生まれました。

そして最終回の第四週目の記事は、一発OK。狙いの定め方も凄いが、定まってからの的のぶち抜き方には身震いします。五十嵐さんは昔からこんな感じで常に態度で示していました。今もそう。だからこそノタの森を全部とめでてもやりたくなりました。そして実行しました。

この編集後記も含めて「これから音楽を仕事にしようと考えている人へのメッセージ」になるようにまとめてきました。五十嵐さんのような音楽制作の現場での経験が豊かな人の考えを次世代の人たちに残せたらそれはとても素晴らしいし、読んでくれる人が一人でもいたら僕らはとても嬉しい。この編集後記も含めて4週間、付き合って頂いてありがとうございました。ありがとう!

インタビュー企画担当/西尾康成

本人写真5枚 (c) 五十嵐真理
第一週.五十嵐さんなりの仕事での音楽制作のこだわりや心がけは?
第二週.五十嵐さんが感じる仕事ならではの楽しみとは?
第三週.五十嵐さんが思う日本の音楽業界の好きな面と嫌いな面は?
第四週.五十嵐さんにとって音楽とは?
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